2013年12月25日水曜日

今晩のNHKニュース9で「島唄響く美しき島々 元ちとせが奄美を語る」

奄美の泥染めの山元さんから、今晩のテレビのご案内が届きました。
泥染めのことで、きょうNHKの取材があったそうです。

1946年(昭和21年)2月に米軍政府下におかれた奄美群島が、
1953年(昭和28年)12月25日に日本に復帰して、今日でちょうど60周年です。

★NHK ニュース9 12月25日(水) 午後9時00分~10時00分
▽島唄響く美しき島々 元ちとせが奄美を語る
【キャスター】大越健介,井上あさひほか

★MBC 20:00~「今宵は島の人に敬意を~夜ネヤ、島ンチュ、リスペクチュッ!!~」
10年前に奄美の若者を中心に始まったコンサート「夜ネヤ、島ンチュ、 リスペクチュッ!!~」が、今年11月に初めて鹿児島市で開催されました。
これまでの10年間の「夜ネヤ」をまじえながら、若者たちのふるさと奄美への誇りを描く音楽ドキュメンタリー。
http://www.mbc.co.jp/amami60/bangumi/


奄美泥染め肥後染色・夢しぼり
http://dorozome.amamin.jp/

2013年12月14日土曜日

アイランダー2013報告

2013年11月23日・24日の2日間、池袋サンシャインシティ文化会館で開催されたアイランダーで、参加者の皆さんから、楽しい話を色々と聞けたのでその一部をご紹介します。
 ( しまのがっこう 鈴木 )


★姫島・豊後諸島
津久見市政策企画課 柴田勝雄様

大分県の島々を紹介するために参加。大分県は、一島一村のモデルのような姫島が有名ですが、他の島も魅力がいっぱいあるとのこと。

その中でも今回は保戸島を中心にお伝えしましょう。保戸島は津久見市の目と鼻の先にあります。柴田さんは本土出身ですが、保戸島が目の前にあり、小さい頃の生活の中心は保戸島で、病院も学校も保戸島に通ったそうです。

保戸島は、マグロ業が盛んだったとのこと。昔から漁業で生計をを立てていた島ですが、だんだん近海での漁業が難しくなり沖へ、沖へと進み、マグロを取るようになったそう。ブースに飾ってあった、保戸島港の写真でも分かるように、当時としてはりっぱな鉄筋(?)3階建ての家が海岸沿いに並んでいるのが圧巻。今は廃れ、人も少なくなっているそうですが、当時栄華を放ったこの港町の風景は貴重なものだと思っていると柴田さん。

瀬戸内の島々も、昔の水軍や貿易船の風待ち港として栄えた港が多くあるが、町並みは木造の古い建築物が多い。保戸島の建物は、近代的な産業遺産としての風格があると思いました。

そ して、話はマグロの漁師料理の話へ。 ごはんに載せたマグロに甘い甘い醤油をぶっかけるのだそうです。 マグロのヅケではなく、ぶっかける。過酷な環境で忙しく働くマグロ漁師が、手軽に栄養を接種できる、ハイカロリーなファストフードというわけです。ただし、この醤油がものすごく甘く、観光客の中には食べられない人もいるそうです。ここで悩んだ柴田さん。観光客向けに甘さを調整したり試行錯誤して万人向けの味を作ったが、ふと、「これって、本物じゃないのでは?」「でも本物だとお客さんは食べられない?」という葛藤がものすごかった。

そ の後、地元の方に、玉子入り醤油を開発してもらった。100ml入りで400円。早速、スーパーで買ってきたマグロの刺身をどんぶりごはんに盛り付け、上から玉子入り醤油をかける。想像以上の甘さが口の中に広がる。ごまの風味も甘さに貢献しているようだ。もともと好きな、わさびをたっぷりとつけて食べると、バランスの良い甘さに変わった。

大分の島を魅力的に語る柴田さん。しかし東京でのPRはなかなか難しいそうです。柴田さん自身も5年ぶりに上京したとのことで、やはりまずは知名度アップが目標となるかも知れませんね。

大分県姫島村役場
http://www.himeshima.jp/

大分県津久井市役所 (保戸島がある)
http://www.city.tsukumi.oita.jp/

大分県津久井市役所のページ中の「保戸島への交通アクセス」
http://www.city.tsukumi.oita.jp/50/65/1659/001661.html

大分県離島振興協議会
姫島・無垢島・保戸島・大入島・大島・屋形島・深島の紹介ページ
http://www.oitasima.net/index.html



★佐久島
西尾市佐久島振興課 山崎高志様

佐久島は平成5年くらいからアートの取り組みを始めた。バブルのころに佐久島にゴルフ場を作る話があったが、構想中にブームが去りゴルフ場は実現しなかった。その後、国の地域興しの施策があり、アートのプロジェクトを始めた。

初めは前衛芸術家を中心に活動を始めたが、いささか奇抜なもので、島の人にはなかなか受け入れられなかった。その後、スタイルを模索して変化していき、定着していった。今は、アート施策を進めるには、島の人とも議論を行うことを必須としている。

お勧めは、最近できた「秘密基地」。島の中でもあまり今まで人が行っていない場所で、良い場所を開拓してきた。

今は、島へのアクセスも良くないが、それも含めて佐久島の魅力だと思っている。本土の港も整備された。平成18年頃(鈴木が行った時)以降もアートが増えている。今は、地元の企画会社(パンフレットにも記載)と、西尾市の佐久島振興課と島の人で議論している。

「あいちの離島80日間チャレンジ」で佐久島に来た新里碧さんの成果のお土産も佐久島にある。

愛知県西尾市佐久島振興課
http://www.city.nishio.aichi.jp/sections/index.cfm?footer=60

佐久島
http://www.sakushima.com/



★天売島・焼尻島
天売小型運輸有限会社 斉藤 様

隠岐・海士町で研修を受け 天売のウニを商売にできないか考えたが、CAS冷凍も高価でなかなか実現は難しい。ウニは本当に美味しいが、羽幌への船は1日1便だし、時間がかかる。

島で、「ひる貝」と呼んでいるムール貝のようなものを食べているが非常に美味しい。これを商品化できないかと考えて色々試している。貝に砂が残りどうしても取りきれないところが、課題だ。

「浜でひる貝を焼いて食べて、遊ぶ」といった、島民が普通にしていることを島に来るお客さんにも味わってもらうのが、一番魅力なのかも知れない。

7月に行う「うにまつり」では、うにを1つ100円で振舞っているので、是非来て欲しい。

羽幌町役場 (天売島・焼尻島がある)
http://www.town.haboro.lg.jp/

羽幌町観光協会
http://www.haboro.tv/see.php



★南大東島
南大東村観光協会 文化センター担当 桃原 祥子様

久々に東京に来て人の多さに驚いている。南 大東島出身。高校で那覇に行き、結婚して21歳で島に帰ってきた。夫は久米島出身だが、南大東島に連れてきた。3人の子がいるが、南大東は出産するには島外に出るしかなく、出産前後の3ヶ月くらいは2重生活となる。小さい子がいると、一緒に連れて行かなければならず、島外の親戚などに預けるなど、色々と苦労が多い。でも、一方ではその間、日々の生活から離れられるというささやかな楽しみもある。

島では子供は数十人。島の人はみな自分の子のように思っている。島の子は上の子が下の子の面倒をみたり、いい社会の縮図である。

桃原さんのお子さんも中学生~2歳までいるが、2歳の子を上の子が面倒見ているので心配なく東京に来れている。 大変なことも多いが、こんな風に近所や親戚や兄弟が助け合っているのが素晴らしいことだと思う。

南大東村役場
http://www.vill.minamidaito.okinawa.jp/



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★薩摩仙台市 高野様

昨年、しまのがっこう甑島編で講師をされた。まずはそのお礼を述べた。
今回の取り組みについて説明したが、高野様は(恐らく前回のしまのがっこうとの違いが分からず)「私は何をしたら良いのでしょう?」という感じであった。

「我々が情報発信することに、フォローしてもらいたい。
普通の観光情報などでは出てこない情報が大事。
例えば 今度中甑島と下甑島の間に橋が架かるが、これに関する悲喜こもごもとか。」とお願いした。

★口永良部島
久木山運送 久木山 裕希様

島の様子などいろいろと話をしました。

口永良部島未来創造協議会
https://ja-jp.facebook.com/kuchierabu.jp



★奄美大島
奄美市 大谷さん

島の様子などいろいろな話をしました。

鹿児島県奄美市役所
http://www.city.amami.lg.jp/



★八重山諸島
竹富町観光協会 井谷信吾様

織物体験などをしてもらうなどの企画もしている。
西表は、結構交通の便が良く、石垣から日帰りで来る人が多いが、宿泊する客を増やしたい。

「しまのがっこう」には、私のような(観光協会の)人間より、もっと技術を持った人が出るのがよいのでは?」との感想を持たれた。

竹富町観光協会
http://painusima.com/

竹富町役場
http://www.town.taketomi.lg.jp/



★伊江島
(株)伊江島物産センター 常務取締役 松本 壮様

ラム酒を製造販売している。 伊江島のラム酒は、日本で初めての本格的なラム酒と言われた。
サトウキビの製造で出る廃棄物の処理施設が、使われなくなり、その設備の活用策としてラム酒製造を始めた。始めて約3年でやっと1年もののラム酒が出せるようになった。

さとうきびシロップも、よけいなものを入れないので美味しい。

しまのがっこうの企画も、良いと思う。結構上京する機会もあるので、タイミングが会えば是非。
離島経済新聞のようなところと似たイメージを持たれている。
結構こういう話で声をかけられるそうだ。

ゆりに関する色々な話をしてもらった。

伊江島物産センター
http://www.okinawastory.jp/view/portal/0600004121/

沖縄県伊江島役場
http://www.iejima.org/ieson/



★伊島、出羽島
徳島県 地域創造課 中山貴晶様

今回、アイランダー初出展。 島をPRしていきたいが、どうやっていったらいいか手探り状態。
今回の出展でも物産が良いのか、やり方についてはまだまだ反省点も多い。

「東京でのPRのツールとして使って欲しい」と提案。

>>>今までの しまのがっこうの記録を伝える。

徳島県地域創造課
http://www.pref.tokushima.jp/soshiki/chiikisouzouka/

阿南市観光協会の伊島のページ
http://www.anan-kankou.jp/bunya/ishima.html

徳島県牟岐町役場 (出羽島がある)
http://www.town.tokushima-mugi.lg.jp/



★三島村
京都大学 文学部 立元 圭様

のちほど詳しい話をすることになった。

鹿児島県三島村役場
http://mishimamura.com/

2013年12月10日火曜日

屋久島シンポジウムの報告 その2

パネルディスカッション
「豊かな屋久島の多様性の恵みを子供たちの未来へ」
     
  東京農業大学教授(コーディネーター)     武生雅明氏
  認定NPO法人富士山クラブ理事・事務局長  青木直子氏
  弁護士、関東屋久島会相談役          牧  良平氏
  作家・NPO法人屋久島エコ・フェスタ理事長  古居智子氏


武生さん

屋久島は植物の固有種が多いのが魅力。花崗岩で、貧栄養の山なので矮小化した固有亜種・変種の植物が多い。緯度30度で年較差が20度を超えるのにブナやミズナラなどの落葉広葉樹が少なく、スギが優占するのはめずらしい。スギは起源の古い植物群で、アジアや北米にわずかに生き残るのみ。世界の端っこの日本の、端っこの屋久島にスギ林があることにウィルソンが感激するのはわかる。スギ林では樹木の直径は2m、高さは30mを超え、低海抜地のシイ林やカシ林、本州のブナ林と比べ圧倒的に大きいことが特徴。

私は長野県北安曇郡小谷村(おたりむら)で自然を修復する試みをしている。悩みは屋久島と同じ。どちらも1960年代に大規模開発があったが、地域の活性化にはつながらず、若者の流出を招いた。

過疎高齢化が進み、耕作放棄地が増えると、田畑に森がせまり、鳥獣被害が増える。鳥獣被害が増えると更なる耕作放棄を招く悪循環に陥る。
この悪循環を断ち切り、村に若者が戻すことを目的に、若者たちの教育を進めている。



青木さん

平成24年11月に世界遺産条約採択40周年を記念して「世界遺産と持続可能な開発:地域社会の役割」、いわゆる「京都ビジョン」が採択された。

富士山は屋久島や白神山地と一緒に世界遺産になれるだろうと思っていたのになれなかった。開発やゴミ問題、トイレ問題が原因で、富士山は世界自然遺産にはなれない。富士山周辺の25資産を含んで「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」という世界文化遺産。しかも、3年後までにさまざまな問題を解決する報告書の提出という宿題つき。

思っている人が守る、地域の人(住んでいる人)が守る、若い人たちが関わる。これしかない。


牧さん

今ある豊かなものを残すなど、とんでもない。もうすでに豊かではない。1960年代にチェーンソーで伐採するようになって15年で大切な森がまるはだかになった。しかし、植林はする必要がない。スギの植林などすると漁に影響する。

屋久島は木がなくなってもすぐススキが生え、2~3年でアオモジに変わり、10年もたてば広葉樹林になる。




古居さん

私も屋久島に移住して20年になる。お隣に座ってらっしゃる牧良平先生が月に一回くらい屋久島にいらして、私が山に入りたいときに一緒に行ってくださる。贅沢なガイド付きの登山をして楽しんでいる。

世界自然遺産登録20周年を迎えて、屋久島にはこの20年を振り返ろうという動きがある。20年前は観光客、登山客の数がこんなにも多くなるとは誰も予想していなかった。トイレの増設や、し尿処理も後手に回っている。20年の間にガイドの数が増えて200人を超えた。民宿なども約250件になった。観光客の増加に伴い、観光を生業とする人が増えた。Uターン族、Iターン族の若者が観光に携わるケースも多い。屋久島で生活しようと思っても就職口が少ないが、ガイドになること、自分の家の一部を民宿にすることなら容易いからかもしれない。

委員会をつくり、入山料についてようやく議論が始まろうとしている。入山料でし尿処理の費用をまかないたいところだ。昔は屋久杉の板を人が背負って山から下りていたが、今はし尿を背負って下りている。大変な作業です。そのことを皆さんに知ってもらって、そこに費用がかかるということを理解してもらうことが大事。携帯トイレで各自が持ち帰ろうという運動も出てきた。

あまりにも縄文杉登山に観光客が集中しているので、いかに分散させるかということで、里のツーリズムの開発という動きも出ている。屋久島では海岸に沿って山の麓に集落が点在している。集落をつなぐ道路が長く整備されていなかったこともあり、各集落がとても個性的で、方言も少しずつ異なる。こういった集落の特性を生かして、それぞれの里にも人が集まるような仕掛けが必要だ。


武生さん

実際にそういうものを行うためには、そのためのガイドが必要になってくる。集落の中での伝統的な知識の伝達がどうなっているのかということに興味がある。以前屋久島を訪れたときに、ニセ(二歳)組という強固な若者組があって、ここでいろいろな伝達が行われて、教育が行われたということを聞いた。



参加者Aさん

ときどき屋久島に帰省するが、里山ガイドの重要性を感じる。この夏に横川渓谷で起きた死亡事故は、里からすこし山に入った場所で川遊びができる場所。地元の人間は危険なポイントがわかって遊んでいるが、観光の人だけで行くと、それがわからず事故につながってしまった。


武生さん

こういうことを地域で共有することがとても大切だ。地域の中での生活技術を伝承していくことが大事だ。


参加者Bさん

とても長時間のシンポジウムだったが、もうひとつの20周年のシンポジウムよりも良かった。
屋久島が世界自然遺産に登録されるすこし前から、屋久島に魅了されて、毎年、屋久島に通った。その間に深刻になったのがヤクシカの被害。西部林道は歩くと気持ちの良い場所だったが、照葉樹林が荒らされてしまった。ヤクシカ対策に予算を取ったという話も聞いたが改善されない。


参加者Cさん

ときどき屋久島に行っている。一湊(いっそう)から奥に入った白子山辺りによく行った。地元の子どもと一緒に川で遊び、家族だけでは味わえない楽しみがあった。他の集落でガイドを頼んだこともある。良い場所に連れて行ってもらえたが、地元の子どもたちが遊んでいる場所に踏み込むことにもなる。屋久島にある「島いとこ」という慣習のように、地元の人と交流できるような形のエコツーリズムが普及するのが理想。


参加者Dさん

屋久島の観光客は縄文杉を見ることだけが目当て。環 境省と林野庁の管理体制が入り組んでいることを理由にせず、地元の人が率先して、自らやる。いかにして縄文杉だけの観光ではなく、屋久島の生い立ち、歴史的なこと、海岸線からの植生、昔の暮らし、そういうことを含めて、島全体を考えること。最初にすべきことは、ガイドが勉強すること。ガイドが増える過程でガイドの質が落ちた。移住して半年もたたないうちに自分の仲間を呼び寄せて、すぐにガイドに仕立て上げている。

さきほど入山料の話が出たが、(トイレなど)基礎的な問題がおろそかになっている。まず屋久島が自分でプランを立てるべき。テレビ局の企画でタレントが屋久島に行く映像を見ていると、苦言を呈したくなる。学者ももっと屋久島の実態に即した基本的に事をやらなくてはダメだ。

確かに、永田では岳参りの復活を全島に広げようという活動をしているようだが、それよりも屋久島全体でのミーティングが必要。一か所が決めたことをみんなに押し付けようとしても無理がある。

多様性をどう保全するか、植生をどう保存するかも含めて、まず、基本的なことを語り合うべき。政官一体となり、環境省、林野庁、学者、地元で、実行可能なことを具体的に話し合うことをしていかなければ何も変わらない。トイレの問題も、ガイドの問題も、20年前と全く変わらない。なにひとつ進展がない。


岩川さん

古居さんの話に感銘を受けた。また、武生先生の話は簡潔で良かった。青木さんの話は、屋久島も縄文杉だけの一点豪華主義、富士山も登ってくればOKという意味で同じだと思った。観光地の同じ
悩みを共有して、連携してやっていきたい。

屋久島でも世界自然遺産登録20周年のイベントがあった。自分たちはこういうことをやっていきたいという中学生や高校生の発表もあった。里めぐりをやりたい、縄文杉のほかにも観光地を広げたい、ヤクシカを屠殺して食料にしたいなどの意見が出た。屋久島はシカに食い荒らされた土地も囲いをするとすぐに元に戻る恵まれた自然がある。問題を解決するには、人手がかかり、コストもかかるので、町長が委員会を作って入山料をどうするかという検討を始めた。委員会では新しい役場は地元の木材だけで建設して、観光客も訪れる拠点にしたい、というようないろいろな知恵を集めている。

ぜひ、幅広い層に訪れてもらって、入山料を払っていただき、お土産も買っていただく、そういう形で地元に就労の場ができて若い人が定着し、発展していくことを願う。屋久島出身者に、ときどき帰ろう、ふるさと納税をしよう、と呼びかけている。若い方にも一度訪れてほしいとPR活動をしている。東京農業大学にも協力してもらい、今後ともご理解とご協力をお願いしたい。


武生さん

共通の課題を持った地域間の協力や、都市と地方との交流、とくに若者の交流を考えながら、今後も屋久島の保全を考えていきたい。


最後に、屋久島の子どもたちが故郷を想って詠んだ詩を朗読し、シンポジウムを終えた。


実施記録
世界自然遺産登録20周年記念イベント屋久島ビジョン21 Vol.2
シンポジウム
屋久島の多様性がもたらす豊かな恵みを子供たちの未来へ
100年後のこどもたちに、私たちは屋久島の何をどう残していけるのか?

基調講演 「日本文化と森林」
   評論家、日本福祉大学、立正大学名誉教授  富山和子氏

現地報告 「ウィルソンの屋久島」
   NPO法人屋久島エコ・フェスタ理事長  古居智子氏

パネルディスカッション 「豊かな屋久島の多様性の恵みを子供たちの未来へ」
   東京農業大学教授(コーディネーター)     武生雅明氏
   認定NPO法人富士山クラブ理事・事務局長  青木直子氏
   弁護士、関東屋久島会相談役          牧 良平氏
   NPO法人屋久島エコ・フェスタ理事長     古居智子氏

実施日   2013年12月07日
会 場   東京農業大学 131教室
主 催   屋久島イベント実行委員会
後 援   鹿児島県、屋久島町、屋久島観光協会、東京農業大学
協 力   日本エアコミューター(株)、認定NPO法人富士山クラブ、関東屋久島会
運 営   チカソシキ

運営ディレクション   臼井ちか ( チカソシキ )
               高橋 颯    (東京農業大学)
               大原佑太   (東京農業大学)
司 会           神谷美保子
チラシデザイン     西川高司  (屋久島観光協会)

屋久島シンポジウムの報告 その1

屋久島イベント実行委員会副会長、計屋さんによる開会あいさつ


屋久島イベント実行委員会会長、岩川さんが富山さんを紹介



基調講演 「日本文化と森林」
評論家、日本福祉大学、立正大学名誉教授  富山和子氏

富山さん

環境を支えるのは水、その源は山、40年前から水の原点は森だと訴えてきた。森から流れ出る川の主役は農民である。日本人は少しでも土地があれば耕し、やせ地には植林する。木を植える文化。昔は80万人いた屋久島の国有林労働者は2千人になってしまった。

『日本の米カレンダー』は2014年版で創刊25年になり、天皇陛下にも毎年お届けしている。来年のカレンダーは、収束の見えない原発事故から再生を目指す福島県の水田や、「死の大地」と呼ばれた原野を緑の大地に変えた北海道のカラマツ林などが紹介されている。

日本の川の特徴を解説する富山さん

 
日本の米カレンダー中のカラマツ林


日本の米カレンダー中の原発事故の後、出荷されることのない米を作る福島の水田

富山和子さんの
「日本の米カレンダー(2014年版)」
http://www.amazon.co.jp/dp/B00FS5HBSG




現地報告 「ウィルソンの屋久島」
作家・NPO法人屋久島エコ・フェスタ理事長  古居智子氏

古居さん

アーネスト・ヘンリー・ウィルソンは、イギリスのコッツウオルズ地方のチッピング・カムデン村出身。そこはピーターラビットの世界のような田舎町。

13歳で園芸店に働き始めたウィルソンは、21歳の時にロンドンの王立キューガーデンで雇われる。キューガーデンは英国の植民地から珍しい植物を集め、植物・農産物の原種を集めていた。ウィルソンはプラントハンターとして、主に中国奥地を探検。1度行くと約3年間滞在し、半年帰国してまた中国へ行くようなスケジュールで合計4回中国を訪れる。

4回目の中国探検で足を負傷して、アメリカはボストンのハーバード大学付属のアーノルド植物園に移る。1914年、今から約100年前に日本に1年間滞在。2月に屋久島に10日間滞在して57枚の写真を撮影。サハリンにまで至る日本旅行を終えて、全部で600枚の写真と帰国後「日本の針葉樹」という論文を残している。

ウィルソンが撮影した屋久島の写真をハーバード大学アーノルド植物園資料庫で見つけた。そのなかの「ウィルソン株」と現在呼ばれている大きな切株の写真に地元の3人の青年の姿があった。

ウィルソン株と一緒に写っている3人の若者を調べているうちに彼らの家族が見つかり、3人のその後の人生を追うことができた。3人はそれぞれの生き方でウィルソンの教えを息子たちに伝えていた。

ウィルソンは100年前、山のなかで3人の青年たちに焚き火を囲んで、屋久島の素晴らしさ、山の大切さを話した。「自分はいろいろな所を旅してきたが、この森ほど素晴らしい森はなかった。この森を君たちが守ってほしい」と。

その言葉は彼ら3人の生き方の示唆を与え、家族の中で世代を超えて受け継がれていた。
牧次郎助さんは息子の市助さんを教員にすることで教育を通して教え子に森の大切さを伝える道を選ばせた。
渡辺比賀之助さんは、楠川(くすがわ)一の力持ちで、山仕事で一生を終えた。男の中の男だったという。
大石喜助さんは指物師で、息子の浩さんは父親の話を元に屋久島の自然を絵や詩にして残した。

100年前に屋久島を訪れたウィルソンは、単に「ウィルソン株」と呼ばれる大株を発見しただけでなく、屋久島の名を世界に知らせ、また植物学者田代善太郎に屋久島の将来を託すなど、今日の世界遺産登録への大きな一歩を記した人であったと言える。


古居智子さんの著書
『ウィルソンの屋久島―100年の記憶の旅路』
KTC中央出版 2013年12月発行
http://www.amazon.co.jp/dp/487758370X

2013年12月6日金曜日

屋久島シンポジウムが新聞に紹介されました

毎日新聞12月5日朝刊都内版(27ページ、23区内で販売)に掲載されました。

屋久島の世界自然遺産登録20周年を記念したシンポジウムが12月7日午後1時半~午後5時半、世田谷区桜丘の東京農業大学世田谷キャンパス141号教室で開催される。

環境評論家の富山和子さんが「日本文化と森林」を講演する。
NPO法人屋久島エコ・フェスタ理事長で作家の古居智子さん(屋久島在住)が、「ウィルソンと屋久島」をテーマに現地報告する。

東京農業大教授の武生雅明さん、認定NPO法人富士山クラブ事務局長の青木直子さん、弁護士の牧良平さん、古居さんが「豊かな屋久島の多様性の恵みを子供たちの未来へ」をテーマに、屋久島の何を未来に残すのかを話し合う、と紹介されました。

皆様のお越しをお待ちしております。
申し込みは屋久島イベント実行委員会まで。(株式会社ジェイプランニング内)
電話03-5332-3211

『世界遺産 ドリーム対決』~外国人が再発見したニッポンの美!~ 

明日の屋久島シンポジウムでお話ししてくださる古居智子さんが、お正月のテレビに出演されます。

番組中の屋久島編で、ウイルソン来日100年を記念し屋久島の自然の素晴らしさを伝え、ウイルソンの足跡を追うそうてす。


『世界遺産 ドリーム対決』~外国人が再発見したニッポンの美!~ 
NHK総合 2014年1月2日21:00~(73分予定)

司 会: 南原 清隆  首藤 奈知子(NHKアナウンサー)
ゲスト: 3名程度予定(スタジオ部分)
      古居智子 (屋久島パートVTR出演) など


NHKがこれまでに撮影した沢山の「世界遺産」の映像を、次々引き出し、世界中の世界遺産を楽しみ、新しい魅力を発見していく、「世界遺産+映像エンターテイメント」番組です。