2013年12月10日火曜日

屋久島シンポジウムの報告 その1

屋久島イベント実行委員会副会長、計屋さんによる開会あいさつ


屋久島イベント実行委員会会長、岩川さんが富山さんを紹介



基調講演 「日本文化と森林」
評論家、日本福祉大学、立正大学名誉教授  富山和子氏

富山さん

環境を支えるのは水、その源は山、40年前から水の原点は森だと訴えてきた。森から流れ出る川の主役は農民である。日本人は少しでも土地があれば耕し、やせ地には植林する。木を植える文化。昔は80万人いた屋久島の国有林労働者は2千人になってしまった。

『日本の米カレンダー』は2014年版で創刊25年になり、天皇陛下にも毎年お届けしている。来年のカレンダーは、収束の見えない原発事故から再生を目指す福島県の水田や、「死の大地」と呼ばれた原野を緑の大地に変えた北海道のカラマツ林などが紹介されている。

日本の川の特徴を解説する富山さん

 
日本の米カレンダー中のカラマツ林


日本の米カレンダー中の原発事故の後、出荷されることのない米を作る福島の水田

富山和子さんの
「日本の米カレンダー(2014年版)」
http://www.amazon.co.jp/dp/B00FS5HBSG




現地報告 「ウィルソンの屋久島」
作家・NPO法人屋久島エコ・フェスタ理事長  古居智子氏

古居さん

アーネスト・ヘンリー・ウィルソンは、イギリスのコッツウオルズ地方のチッピング・カムデン村出身。そこはピーターラビットの世界のような田舎町。

13歳で園芸店に働き始めたウィルソンは、21歳の時にロンドンの王立キューガーデンで雇われる。キューガーデンは英国の植民地から珍しい植物を集め、植物・農産物の原種を集めていた。ウィルソンはプラントハンターとして、主に中国奥地を探検。1度行くと約3年間滞在し、半年帰国してまた中国へ行くようなスケジュールで合計4回中国を訪れる。

4回目の中国探検で足を負傷して、アメリカはボストンのハーバード大学付属のアーノルド植物園に移る。1914年、今から約100年前に日本に1年間滞在。2月に屋久島に10日間滞在して57枚の写真を撮影。サハリンにまで至る日本旅行を終えて、全部で600枚の写真と帰国後「日本の針葉樹」という論文を残している。

ウィルソンが撮影した屋久島の写真をハーバード大学アーノルド植物園資料庫で見つけた。そのなかの「ウィルソン株」と現在呼ばれている大きな切株の写真に地元の3人の青年の姿があった。

ウィルソン株と一緒に写っている3人の若者を調べているうちに彼らの家族が見つかり、3人のその後の人生を追うことができた。3人はそれぞれの生き方でウィルソンの教えを息子たちに伝えていた。

ウィルソンは100年前、山のなかで3人の青年たちに焚き火を囲んで、屋久島の素晴らしさ、山の大切さを話した。「自分はいろいろな所を旅してきたが、この森ほど素晴らしい森はなかった。この森を君たちが守ってほしい」と。

その言葉は彼ら3人の生き方の示唆を与え、家族の中で世代を超えて受け継がれていた。
牧次郎助さんは息子の市助さんを教員にすることで教育を通して教え子に森の大切さを伝える道を選ばせた。
渡辺比賀之助さんは、楠川(くすがわ)一の力持ちで、山仕事で一生を終えた。男の中の男だったという。
大石喜助さんは指物師で、息子の浩さんは父親の話を元に屋久島の自然を絵や詩にして残した。

100年前に屋久島を訪れたウィルソンは、単に「ウィルソン株」と呼ばれる大株を発見しただけでなく、屋久島の名を世界に知らせ、また植物学者田代善太郎に屋久島の将来を託すなど、今日の世界遺産登録への大きな一歩を記した人であったと言える。


古居智子さんの著書
『ウィルソンの屋久島―100年の記憶の旅路』
KTC中央出版 2013年12月発行
http://www.amazon.co.jp/dp/487758370X